都市の喧騒を離れ、山間の静寂な土地で土と向き合う。壷田和宏と壷田亜矢という陶芸家夫妻は、そんな生き方を選んだ。宮崎県の高千穂という、神話の舞台とも呼ばれる地で、二人は毎日土に触れ、炎を見つめ、器を生み出している。彼らの名字「壷田」は全国で約140人しか持たない稀少なもので、その響きは職人の家系を連想させる。だが実際の彼らの歩みは、現代社会が直面する住宅難や地方移住という時代のテーマと深く結びついている。

壷田和宏・亜矢夫妻は、1990年代に陶芸学校で出会い結婚した陶芸家である。当初は都心で小規模な工房を営んでいたが、住宅コストの高騰と制作環境の限界を感じ、2009年に宮崎県高千穂町へ移住。現在は自宅に工房と畑を併設し、白唐津や土釉を用いた日常使いの器、注器、土鍋などを制作している。作品はオンラインショップや地元市場で販売され、シンプルで温かみのある造形が支持されている。

項目 詳細
氏名 壷田和宏(つぼたかずひろ)・壷田亜矢(つぼたあや)
職業 陶芸家
出会い 1990年代、陶芸学校
移住年 2009年
移住先 宮崎県高千穂町
代表作品 白唐津の器、土釉の注器、土鍋
販売経路 オンラインショップ、地元市場、観光地
姓の全国順位 約25,859位(全国約140人)

陶芸学校での出会いと都心での工房運営

1990年代。バブル崩壊後の日本で、二人の若者が陶芸学校の窯場で出会った。壷田和宏と亜矢である。当時、伝統工芸への関心が若者の間で静かに広がっていた時期だった。大量生産された工業製品に囲まれた暮らしへの反動として、手仕事の価値が再評価されていた。

二人は結婚後、都心に小さな工房を構えた。駅から徒歩圏内。賃貸アパートの一室を改造し、電気窯を設置した。限られた空間での制作は困難を伴った。粘土の保管場所、釉薬の調合スペース、完成品の在庫管理。すべてが制約との戦いだった。

それでも彼らは作品を生み出し続けた。週末には都内のクラフトマーケットに出店し、顧客との対話を重ねた。「使いやすい器を作りたい」という和宏の言葉は、シンプルだが揺るぎない信念だった。

都市部の小規模陶芸工房のイメージ

都心を離れる決断―住宅問題と制作環境の限界

2000年代後半。都心の不動産価格は上昇を続けていた。壷田夫妻が借りていた工房兼住居の家賃も例外ではなかった。更新のたびに値上げが通告される。電気窯の電気代も無視できない負担だった。

だが経済的理由だけが移住の動機ではなかった。

亜矢は語る。「都会では土の匂いを忘れそうになった。器は土から生まれるのに、私たちはコンクリートに囲まれていた」と。作品のための土も、業者から購入する袋詰めの既製品だった。陶芸家として、それは本質的な違和感だった。

和宏は薪窯への憧れを抱いていた。電気窯では得られない炎の表情。灰が降り積もる偶然性。だが都心で薪を燃やす窯を築くことは、法規制と近隣への配慮から事実上不可能だった。

夫婦は話し合いを重ねた。子どもはいない。都心に留まる理由は販路だけだった。そしてインターネットが普及した時代、販路は必ずしも物理的な立地に依存しなくなっていた。

高千穂という選択―神話の里での新生活

2009年、壷田夫妻は宮崎県高千穂町に移住した。天岩戸神社や高千穂峡で知られる観光地だが、過疎化が進む中山間地域でもある。人口は減少を続けていた。

なぜ高千穂だったのか。

和宏は移住先を探す過程で、九州各地の陶芸産地を訪ねた。有田、唐津、小鹿田。伝統ある産地には憧れたが、既に確立された作家コミュニティに新参者として入ることへの躊躇があった。高千穂は陶芸産地ではなかった。だからこそ自由があった。

土地は安かった。都心のワンルームマンション数年分の家賃で、山の斜面に広がる土地と古民家を購入できた。水は豊富で、裏山には薪に使える雑木が生えていた。近隣住民は温かく迎えてくれた。「陶芸家が来てくれるなんて」と喜ぶ高齢者もいた。

高千穂の自然風景

工房と畑―土と炎と野菜のある暮らし

高千穂での生活は、陶芸だけではない。夫妻は畑を始めた。最初は自給用の野菜だった。トマト、ナス、キュウリ。土を耕し、苗を植え、水をやる。毎日の作業が器作りのリズムと重なった。

亜矢は気づいた。「畑の土も、器の土も、同じ大地から来ている」と。粘土を掘る手と、野菜を収穫する手は、同じ感触を記憶している。農作業は陶芸の延長だった。あるいは陶芸が農作業の延長だったのかもしれない。

工房は敷地内に新築した。薪窯も築いた。和宏は地元の石工と協力し、耐火煉瓦を積み上げた。初めての窯焚きは失敗の連続だった。温度管理、炎の流れ、灰の降り方。電気窯では制御できた要素が、すべて不確定になった。

それでも続けた。五回、十回、二十回。失敗作の山が経験になった。やがて和宏は炎の声を聞けるようになった。薪の種類で炎の色が変わる。窯の温度は音で分かる。それは職人の直感だった。

白唐津と土釉―壷田夫妻の作品世界

壷田夫妻の作品は、白唐津と土釉を主体としている。白唐津は朝鮮半島から伝わった技法で、白い釉薬が柔らかな表情を生む。土釉は地元の土を原料とした釉薬で、茶褐色や灰色の自然な色合いが特徴だ。

器の形はシンプルだ。飯碗、湯呑み、皿、鉢。日常使いを前提としている。装飾は最小限。だが手に取ると重さと質感が心地よい。縁の厚み、高台の削り、釉薬の掛け方。すべてに作り手の意図が宿っている。

注器も人気がある。徳利や片口など、酒や出汁を注ぐための器だ。注ぎ口の角度、持ち手のカーブ。液体がスムーズに流れるよう、何度も試作が重ねられた。「道具として完璧でなければ美しくない」と和宏は言う。

土鍋は冬の定番商品だ。高千穂の寒い冬、家族が囲む鍋料理のための器。厚手の土が熱を蓄え、ゆっくりと食材を温める。工業製品の土鍋とは火の通り方が違う。それを理解する顧客が、毎年注文してくる。

白唐津の器のイメージ

販路の確立―オンラインと地域の融合

移住当初、夫妻は販路に不安を抱えていた。都心のクラフトマーケットには出店できない。宮崎から東京へ作品を運ぶ送料も無視できない。

解決策はインターネットだった。亜矢は写真を学び、作品を美しく撮影する技術を身につけた。自然光の下で器を撮る。背景は木の板や布。シンプルだが器の質感が伝わる構図。

オンラインショップを開設した。SNSで制作過程を発信した。窯焚きの様子、畑での野菜作り、高千穂の四季。作品だけでなく、暮らし全体を見せることで、ファンが増えていった。「壷田さんの器で食事がしたい」というコメントが寄せられるようになった。

地元でも販路を開拓した。高千穂は年間100万人以上の観光客が訪れる。道の駅や土産物店に作品を置いてもらった。観光客の中には、旅の記念として器を購入する人もいる。「高千穂の思い出を毎日の食卓で感じたい」という声があった。

地元の飲食店とのコラボレーションも始まった。高千穂牛を提供するレストランが、壷田夫妻の皿を使うようになった。器と料理の相乗効果。それは作家冥利に尽きる瞬間だった。

稀少な名字「壷田」―全国140人の系譜

「壷田」という名字は全国で約140人しか存在しない。全国順位は25,859位。珍しい名字だ。

名字の由来は明確ではない。一般的には地名由来説と職業由来説がある。「壷」は容器を意味し、「田」は農地を指す。陶器を作る職人が住んでいた田、あるいは壷のような形の地形にある田、という解釈が可能だ。

興味深いことに、壷田姓は陶芸家に比較的多く見られる。偶然なのか、それとも名字が職業選択に影響を与えたのか。和宏は笑いながら言う。「名字に恥じない仕事をしたいと思ったことはある」と。

稀少な名字は、ある種の責任を伴う。「壷田」と名乗れば、人々は記憶する。作品の質が悪ければ、名字ごと評判が落ちる。だが同時に、覚えてもらいやすいという利点もある。「壷田さんの器」という呼び方は、個人名よりも印象に残る。

地方移住と陶芸―現代における職人の生き方

壷田夫妻の選択は、日本社会の大きな流れと重なっている。地方移住、田園回帰、半農半X。都市集中型社会から、多様な生き方を認める社会へのシフト。

2020年代、新型コロナウイルス感染症の影響でリモートワークが普及した。都心に住む必然性が問い直された。壷田夫妻が移住した2009年は、その先駆けだった。彼らは時代を先取りしていたのかもしれない。

だが地方移住は理想だけでは成立しない。収入の確保、地域コミュニティとの関係構築、医療や教育へのアクセス。現実的な課題は多い。壷田夫妻は、オンライン販売という手段と、地元観光資源という環境を活用することで、それらを乗り越えた。

陶芸という職業も、現代では特殊な位置にある。大量生産品があふれる中で、手作りの器に価値を見出す消費者は限られている。だが逆に言えば、その限られた層は、確実に存在し、増加傾向にある。「丁寧な暮らし」「サステナビリティ」といった価値観の広がりが、職人仕事を支えている。

地方移住と田舎暮らしのイメージ

壷田夫妻が示す未来の暮らし方

高千穂に移住して15年以上。壷田和宏と亜矢は、今も毎日工房に立っている。朝は畑仕事から始まる。土に触れ、野菜を収穫し、朝食を食べる。午前中は轆轤を回し、午後は削りや釉掛け。夕方には薪を割り、窯の準備をする。

規則正しいようで、実は柔軟な暮らしだ。天候に左右され、窯焚きのスケジュールに合わせる。自然のリズムが生活を決める。それは都市生活とは対極にある時間の流れだ。

二人には後継者を育てる計画はない。「弟子を取るつもりはない」と和宏は明言する。陶芸は個人の表現だからだ。だが地域の若者に工房を開放し、土に触れる体験は提供している。「陶芸家になる必要はない。土の感触を知ってほしいだけ」と亜矢は言う。

彼らの作品は、時代を超えて使われるだろう。割れるまで、あるいは次の世代に受け継がれるまで。壷田夫妻の器は、高千穂の土と炎と、二人の手仕事の記憶を宿している。それは単なる容器ではない。生き方の証だ。

よくある質問

壷田和宏・亜矢夫妻の作品はどこで購入できますか?

オンラインショップ、宮崎県高千穂町の道の駅や土産物店、一部の地元飲食店で購入可能です。SNSでも販売情報を発信しています。

壷田という名字の由来は何ですか?

明確な由来は不明ですが、容器を意味する「壷」と農地を指す「田」から、陶器職人の住む土地や壷型の地形にちなむ可能性があります。全国で約140人の稀少姓です。

高千穂に移住した理由は何ですか?

都心の住宅コスト高騰と制作環境の限界が主な理由です。薪窯を築ける土地、豊かな自然、観光地としての地域資源が決め手となりました。

白唐津とはどのような技法ですか?

朝鮮半島から伝わった陶芸技法で、白い釉薬を用いて柔らかな表情を生み出します。壷田夫妻は白唐津と土釉を組み合わせた日常使いの器を制作しています。

地方移住を考える陶芸家へのアドバイスはありますか?

オンライン販路の確立と地域資源の活用が重要です。壷田夫妻は観光地という立地を活かし、SNSとウェブショップで全国に顧客を広げました。